戦争の大義名分
ガザでは、長年虐げられてきた民衆が恨みや憎しみから戦争を仕掛けたし、ウクライナ侵攻では、民族紛争の火種から大火となっていった。民族や宗教の違いから区別し、差別して虐げられた者たちが武装蜂起することは多々ある。
人々は当初、仲良く暮らしていきたいと思うのに、いつのまにか区別から差別に代わり、差別から軽蔑や憎しみになり、憎悪となって暴力に訴える。その繰り返しを何度も繰り返している。仲間内を守ることから紛争につながっていく。
ロシア民族を救うという大義名分でウクライナ侵攻を始めたロシア、ハマスに捕らえられたイスラエルの人質を救出する大義名分でガザ侵攻を始めたイスラエル。そこに至るまでに、憎しみや仲間を守るという小さな火種があったはず。
お互いに、こうした差別から生まれる憎しみの連鎖を断ち切り、共存共栄の街を作ろうとすれば何も知らない子供たちは喜んで協力するだろう。その子供たちに憎しみを植え付けているのは大人で、大人こそ平和のために何をするべきか模索しなければならないと思う。
過去の出来事を知ることは大切だが、過去において辛い目に合っている、現在でも辛い目に合っていることを理由に暴力に訴えるのではなく、対話と協調によるお互いの繁栄を訴えることの大切さを子供たちに教えるべきなのだろう。