生まれるときも、死ぬときもひとり
生命は生まれるときも、死ぬときもひとりで、道連れにする行為は許されない。ひとりで生まれてきて、親が面倒を見てくれているときは家族数名になり、学校に行くようになり、友達ができて一緒に遊ぶ仲間ができて嬉しくなる。そのうち恋に落ちて二人の方が好ましくなる。
やがて、結婚してしばらく二人でいるが子供ができて数人になる。子供が大きくなって巣立て行くと、また二人になり、夫婦のどちらかが死ぬとたったひとりになる。子供たちがいっしょに住もうなどと言ってくれるが元気なうちは一緒に暮らしくないし、介護が必要になっても一緒は嫌だと思うようになる。
人間だけではなく、他の生き物だって同じようなもの。田舎には燕が春になるとやってきて、恋をして二羽で巣を作り始める。卵を産み、雛がかえると餌をとってきては巣に運ぶようになる。やがて、ひな鳥が巣立つと夫婦は別れて飛んでいく。気ぜわしい初夏の出来事だが、それが自然の営み。
寂しいと思うのはひとり残された方だが、死んでいった連れ合いは、本当はひとりになってしばらく暮らしたかったのかもしれない。私が世話しなければあなたは生きていけないから、私は我慢して死ぬまで一緒にいてあげたけど、私はあなたがいない暮らしがしたかったと思っていたかもしれない。
どうして、いっしょにいるのか?生活費を稼いでくれるから?家事をすべてやってくれるからなのか?介護が必要な親の面倒をみてくれるからなのか?仕事を遅くまでやってくれるからなのか?不満のはけ口になるからなのか?愛情もないのに、愛されてもいないのに稼ぐだけでいるのか?
いつかは死がひとりの旅立ちを誰もが迎えるのに、最後まで我慢してこの人といっしょに生きる価値があるのか? そう自分に問いかけることは、老後を迎えた人であれば誰にでもある。