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汝の敵を愛せよ

 

自分を苦しめた人には憎しみが残る。その憎しみを抱えたままで生きていると、今度は誰かに憎まれるような生き方をしてしまう。自分が抱えている憎しみを乗り越えるには深い愛情を持つしかない。

 

20代の頃、借金返済で銀行の窓口でいつも長時間待たされて嫌味を言われ、呼び出しておいて何しに来たと言う行員がいた。彼は銀行を退職して税理士になった。成功した僕は、真っ先に彼に会社の税理をお願いした。

 

深々と頭を下げて、「よろしくお願いいたします。」という僕に、仕事のなかった彼は感謝してくださった。引け目を感じているので、彼の仕事ぶりはまじめだった。僕の会社が大きくなり国税の方が調査に入るようになると彼の方から仕事ができないと言ってきた。

 

別れた妻の借金の返済で保証人になっていた方が、僕の悪口をいつも言っていた。「お前など雇っても、最低の賃金しか払う価値がない。」と言われたが、別れた妻の借金を肩代わりして完済し、成功してから彼に仕事を依頼した。

 

「その節は、本当にお世話になりました。今回は、このようなお仕事をお願いに上がりました。」彼はいぶかしながらも、その仕事をキチンとやってくださった。僕が仕事で成功できたのも、彼らが厳しく苛めてくださり悪口を言ってくださったからと僕は思った。

 

憎しみや悔しさを感じて涙したこともあったが、そうしたことがあったからこそ今の僕がいることも事実で、成功したからやり返してやるなどと思うのは、自分の成功を台無しにする行為だと思えば心から感謝できた。

 

僕はキリスト教徒ではないが、この言葉には、こうした意味もあるのではないかと思う。仏教では慈悲と云い、市井の人々は愛だと言い、憎しみを乗り越えろという。マイナスの感情を抱えたままだと幸せにはなれない。

 

 

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