通勤電車
若い頃、都会の満員電車に揺られながら自分はこの先どうなるのだろうという不安と、今を一生懸命に生きるしかないという思いだった。仕事は楽しいものではなく、上司からの信頼はなく、社長はお金にしか興味がなかった。売り上げばかり気にしてノルマはきつかった。
ノルマを棒グラフにして朝礼の時に、上司から叱咤激励が響く。できない社員は徹底的に罵倒され、いつか自分もそうなるのではないだろうかという不安で多くの社員が退職していく中に僕も入るようになった。次の就職先もなく、何をするでもなくただ疲れ切った自分がそこにいた。
あれから40年以上経ち、僕はまた都会の通勤電車に乗ることがある。安っぽいスーツやヨレヨレのスーツに身を包み、すり切れたビジネスバッグを持っているサラリーマン、携帯電話に夢中になっているオフィスガール、靴底が擦り切れて傾いているのに高級バッグを持っている女性、彼らも必死に生きている。
自分より年下の方が多くなり、通勤電車に揺られることもなくなり、仕事も余裕を持ってできるようになり、残りの人生も少なくなると、未来に不安を抱えている若者や中年を観ると「僕も未来に不安を抱えて生きてきたんだ。それでも何とか生きているからみんな頑張って!」と応援したくなる。
貧乏で生活にも事欠く日常が懐かしく、上司から罵倒された日々に苦笑いし、小銭を数えて嘆き暮らしていた街に郷愁を感じる。どうして自分だけがこんなことになっているのだろうと苦悩と恥ずかしさで頭を抱えていた頃が自分の青春だったと誇らしく思えるようになるから不思議なものだ。