愚痴や不満こそ成長の種
母親が料理してくれないから拗ねている、お風呂を沸かしていないから怒ってしまう。袋を縫ってくれないから、ぞうきんを縫ってくれないから怒っている・・・などなど、すぐに怒ってみたり拗ねてみたりの態度をとっても自分の成長はない。誰かに何かをさせようとするのではなく、自分でするようにすれば世界が変わる。
僕は、両親が共働きだったので、料理を覚え、風呂焚きを覚え、洗濯を覚え、ほつれ縫いを覚え、洋裁を覚え、袋縫いも洋服すら縫えるようになった。料理も包丁まで研げるようになり魚をさばくまでできた。和食ばかりでなく中華や洋食もできるようになった。ドレッシングもソースも自分で作れるようになった。
誰かが何かをしてくれることを期待してイライラしている人を観ると、自分でさっさとやればどんなにかストレスも溜めず、やってみることで、その人の苦労もわかるし、もっと効率よいやり方も考えることができるようになる。できるようになれば、率先してやるようになり、周りの人の尊敬や信頼も得るようになる。
大人になっても、老人になっても、何もやってくれないと愚痴っている人を観ると、何ともったいない愚痴なのだと思う。それこそ、自分が挑戦する課題であり、挑戦すれば何と面白い世界なのだと目を見張るようになる。その面白さを味わうと、次から次へと挑戦したくなるので自然と愚痴は少なくなっていく。
自分でできないことが多い人ほど愚痴っぽいのかもしれない。自分でドンドンやってみたいと思っている人は、不満をヤル気に変えてドンドン挑戦している。挑戦しながら失敗し、多くの困ったに出会い、難儀しているが、それこそ生きていると実感する楽しいひと時。僕は、そんな風に考えて行動している。