戦争で死んでいった人を丁重に葬るのは国民として当然
如何なる戦争も、為政者が国民に向かって愛国心を煽り、相手国の非を責めて許せないやむを得ないという説明をし、戦場に国民を兵士として送り出す。戦場では敵をやっつけなければ殺される。自国を守るためだと思い、愛国心から戦死していくが、相手の兵士も同じ思いで戦場にいることに変わりはない。
戦場では、どちらの言い分が間違っているのかなどということは議論されず、ただ、敵を殺さなければこちらが殺される。戦死した自国民を丁重に埋葬するのはどの国でも同じ思いだろう。ただし、問題なのは、その戦争はどちらの言い分が正しいのか?どんなに議論しても解決しないことだろう。
自国防衛のために戦った人たちは、自国に攻め入った兵士は許せないに違いないが、自国以外の地で、自国の大義名分のために命をかけて戦った兵士は、まさか、自分が防衛していると思っている国民から憎まれているとすれば戦っている意味がない。それでも兵士は上官の命令に違反することは許されない。
宗教や領土問題などは、どこまでも平行線であり、そのため紛争の種になりやすい。僕たちも近隣国が、自国の領土を侵しているとニュースで流されれば、如何にそれが無人島であっても岩礁であっても心穏やかではない。地球上に国境線を無理やりでも引こうとする政治家には疑問を感じる。
政治家は如何なる時も、戦争を紛争解決の手段として利用してはならないという強い意志と義務感を持って事に当たるべきだろう。過去の苦難を乗り越えて、今を生きている人たちやこれから生まれてくる人たちに、これまでの憎しみや恨みではなく明るい未来を開いてあげるべきだろう。
どの国に行っても丁重に埋葬されている兵士の墓、神社や石碑などには敬意を払うものであるが、兵士の死を無駄にしないためにも戦争を引き起こさない平和的な解決策を政治家は模索するべきだろう。自国民や相手国がどんなに望んでも、戦争をしないと命をかけて声高に叫ぶ政治家で世界が溢れてほしい。