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世のため、人のため 淀屋 常安(よどや じょうあん)

樫長 075大阪 中之島公会堂は、高校生の頃からイベント会場として利用させていただいた思い出深い建物。現在の中之島は、市民の憩いの場として有名だが、中洲を埋め立てて現在のような船着き場として利用できるようにしたのは、大阪商人 淀屋常安。彼のビジネスは、狙った人物に恩を売ってから商売するという先行投資型。

 

元は武士だが、戦いに嫌気して武士を辞め土木工事を請け負うようになる。天下統一を果たした豊臣秀吉の目に留まり、大阪の街を造るために材木商となる。徳川家康の時代になると、焼け野原となった大阪を立て直すために中之島の埋め立てを自費で行い、瀬戸内海と琵琶湖を結ぶ航路の要所とした。

 

中之島には全国の大名からの米が集まるようになり、全国の米の半分が淀屋常安によって管理されるようになる。この頃は貨幣経済ではなく米価によって物価が上下する時代。人々の生活を安定させる物価の安定はコメ相場の安定だと、今度は世界で初めて米価の先物取引を始め、リスクを一人背負い込んでいる。

 

世のため、人のためと、良かれと思ったことの発想は思いもよらぬもので、先読みができて世の人々をより豊かな生活へと導いている。人々に貢献できる商人となった彼の資産は、現在に換算して500兆円(大名への貸付金100兆円)とも云われ、江戸幕府はお取り潰し、財産没収によって返済をチャラにしている。

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