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三井財閥の中興の祖、 三井 高利(みつい たかとし)

DSC04748 (1)江戸時代、今の三重県松阪市で三井高利は四男として生まれた。四男は補欠の補欠のような存在なので、チヤホヤしてくれない。そのため、いつも自分の感情を殺して他人の感情を読み取る知恵がつき、どのように振る舞えば機嫌が良くなるのかもわかるようになる。つまりは、商才が自然と身に付き、大人になるに従い多く人から慕われるようになる。

 

彼は、若い頃から誰に対しても優しく丁寧に接することを心がけているし、四男なので質素倹約が自然と身に付き、庶民と身近に接する術を知っていた。彼らの感情や感覚がわかるようになっていくが、跡取りだとチヤホヤ育てられ、上から目線で指示を出すように躾けられている長男には、そんな態度はできない。

 

長男が死去すると、52歳の彼は念願の江戸に出て呉服商を創めるが、大名や大奥などを相手にする商売ではなく、現金値引きなし、掛売りなしの値札を付けた定価販売を始める。しかも、来客には座敷に上がっていただき、お茶を振る舞い、ひとりにひとりの店員が付くというおもてなし販売を始める。

 

商売が順調に行くようになると商売敵からかなり目立った苛めにもあっている。儲かるようになると大名から金を貸してくれという催促があったが、大名を相手に商売している訳ではないのでこれをお断りしている。どうしても出さねばならない時は、二度と催促しないことを約束したうえで貸すのではなく与えている。高利の家訓には、教えられることも多い。

 

一、単木は折れやすく、林木は折れ難し。汝等相協戮輯睦(きょうりくしゅうぼく)して家運の鞏固(きょうこ)を図れ。

二、各家の営業より生ずる総収入は必ず一定の積み立て金を引去りたる後、はじめてこれを各家に分配すべし。

三、各家の内より一人の年長者を挙げ、老八分としてこれを全体の総理たらしめ、各家主はこの命にしたがうべし。

四、同族は、決して相争う事勿れ。

五、固く奢侈を禁ず。

六、名将の下に弱卒なし、賢者能者を登用するに意を用いよ。下に不平怨嗟の声なからしむる様注意すべし。

七、主は凡て一家の事、上下大小の区別無く、これに通暁する事に心掛けるべし。

八、同族の小児は一定の年限内に於いては、番頭、手代の下に労役せしめ、決して主人たるの待遇をなさしめざるべし。

九、商売は見切り時の大切なるを覚悟すべし。

十、長崎に出でて、夷国と商売取引すべし。

 

皆が団結し、貯金しなさい、感情的になるな、贅沢するなとは、庶民感覚を失くさない戒めだし、長男を観ているので、子供はチヤホヤ育てるなと戒めている。有能な者は積極的に重用してチャンスを与え、見切る勇気を持てと諭し、トップは末端まで情報を正確に収集し、江戸時代に、長崎に出て外国と交易しろと家訓にするほど先見性がある。

 

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