日本を守る
江戸末期、黒船来航以来日本中で多くの人が日本を守るためにどうすればよいのか?議論していた。ある者は、黒船打つべしと攘夷決行を訴え、ある者は、勝つ見込みのないことをせず、むしろ、敵国の実情を知りその知識と技術を学ぶべきだから若者を異国に送りだそうと訴える。
ある者は、彼らがあのような武力を持っているのは国富によるから、まず、貿易によって敵国の繁栄を真似て豊かな国にして相手を打ち負かすほどの武力を用意する。まずは、文明開化が先決だと訴える者。大きくは、戦争支持者、学問の推奨、交易によって国を豊かにするの3つ。
最初に、支持を得たのは武力討伐で人々は戦争を選んだが敗北すると、今度は開国に転じる。若者が海外で最新の実学を身につけて帰国し、産業を起こして国が少し豊かになると、更なる富を求めて欧米列強を真似て植民地主義に走っていった。欧米列強を戦争も辞さずという雰囲気になる。
ここでも、人々は戦争を指示して太平洋戦争で大敗北を味わう。戦後やっと日本は、豊かな国を創ることに気が付き平和主義を選択する。戦争は破壊で、多くの人が職を失い貧しくなるが、戦争を回避して仕事をしていれば生産性は上がり豊かな生活が保障される。暴力的な感情に流される状態は破壊に身を置く行為となる。