昭和は遠くなりにけり
昭和28年生まれの僕には懐かしく、Z世代(1996年前後〜2010年前後生まれ)には目新しい。α世代(2010年以降生まれ)は、過去の遺物のように映る。ぬかるんだ土の道は、雨が降ると靴が泥だらけになり、東京駅には靴磨きの人が並んでいたが今はいない。
子供たちは土管が置かれた工事現場で遊ぶのが楽しく、大きな土管は基地のような遊び場だった。今は、あんなに大きな土管を見かけなくなった。新しい家が建つときは上棟式が行われ施主の方が地元の人へ餅まきをしてくれた。赤く塗られた餅はご馳走だった。
牛肉は高価で食べることができなかった。焼き肉などという贅沢はお金持ちしかできず、学校で「俺んちは今夜焼肉!」などと言えば、皆がうらやましいと思った。野菜サラダなどは農薬がかかっているし害虫が多くて食べることができなかった。
松林が広がる海辺は格好の散歩道で、夏になるとそこから続くビーチには多くの人が海水浴に来て日焼けしたくて日焼けクリームを塗っていた。海水浴場には貸しボートがあり、泳いでいる人との区分けはなかった。泳いでいる人がボートに頭をぶつけても笑っていた。
大雨が降ると決まって水が溢れ、床下浸水は当たり前のように起こっていた。肥溜め式のお便所なので溢れ出た泥水は臭かったが、子供たちは喜んで遊んでいた。そのあと、役所の人が消毒液をバキューム式の散布機で街中を散布してくれた。
お盆の季節は街中で大掃除をして畳を家から外に出して天日干しをしていた。床下は土でシロアリなどの駆除の薬剤を散布した。街の人は集まっていっしょに昼にはおにぎりを食べて談笑していた。ご近所付き合いは家族のように密接だった。
年末になると、商店街は大売出しをして近隣の人々が集まってきて大にぎわいだった。お買い物の金額に応じて抽選権が配布され、抽選でカラーテレビが特賞で当たったり近隣の温泉宿への1泊旅行などもあった。
学生は深夜のラジオ放送を聞きながら勉強していた。投稿はハガキで、視聴者からのハガキをパーソナリティーが読んで意見を述べていた。そこで得た情報や音楽が若者の価値観を醸成していった。今でも、テーマソングを口ずさむことができる。


