わかるとできる物語 第1章 6 夢と希望
世に有名な先生は、何をどのように教えたのだろうか?福沢諭吉、吉田松陰、クラーク博士、アリストテレス・・・。生徒に知識だけでなく、夢と希望を与えられる本物の先生になろうと僕は思った。「わかるとできる」パソコン教室のBUNちゃん先生は、パソコン知識を生徒に優しくわかりやすく丁寧に指導しながら、生徒の人生に夢と希望を与えなければならないと思った。
1998年、日本は不景気の真っ只中にあり、大企業で働いていても職を失う人が多く、転職もままならない時代だった。街には職ばかりでなく自信をも失った社会人が多くいた。彼らは再起をかけてパソコン教室「わかるとできる」にやってくる。彼らを蘇生させることができれば、日本は再び元気を取り戻す。そうした生徒を輩出する使命が僕たちにはあると植田さんと話していた。
僕の失敗談を講義中の板書を書き写してくださっている間にお話しして、世の中には私以上にずっこけた人もいるんだなと思っていただき、その人でも立ち上がって頑張って生きているなら自分にもできるだろうと思っていただくこと。そのために、僕自身はお人好しで、誰からも好かれるBUNちゃん先生でいなければならない。弱さを持っているのに、何があっても乗り越えていく強靭さがなければならない。
僕は貧乏な家に生まれ、名声もなく、名誉もなく、財産も権力もなかった。父は僕を実の子供だと思っていなかった。学校の成績も普通で、体力もなく、パッとするものは何もない平凡以下の男で、結婚に二度も失敗しているし、お金儲けはからきしダメで、女性にはモテない肥満体で、小さくなって生きてきた。そんな男がBUNちゃん先生の役をこなしきれるのだろうか?自分自身に幾度も問いかけていた。
役者は、その役を演じきることにストレスを感じるようになり、自分自身を見失って、みずから命を絶つことがある。BUNちゃん先生という役は、何があっても、一生涯やり遂げなければならない役柄。その役柄を演じながら「わかるとできる」パソコン教室の代表としての役も良き夫の役も演じ切らなければならない。「わかるとできる」パソコン教室が広がれば広がるほど辛い役目になることを覚悟しなければ、とても演じきれない役だった。
植田さんは、「パソコン教育を日本中に広め、日本を変えたい。自分たちの使命は、自分たちの授業を受けていただくことで、この日本を、この世の中を変えることにあり、世の中を変えることができるのは本気でそう思っている人たちだけなんだと社長は言いました。だから、私はあなたに就いてきている。1億2000万分の一の小さなハートに灯が付いたなら、どこまでもやるべきではないでしょうか?」と言った。