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愛国心とは?

 

国を愛する心は、自分が生まれ育った土地やそこで親しんだ人々への愛着を示すものだが、政治家が愛国心を語るときは、今の政治体制を守るために自分を犠牲にしてくださいということが多い。かつての日本では、愛国心は天皇陛下のために死ぬことで、兵士になって戦死して靖国神社に祀られることだった。

 

徴兵された兵士は、「靖国で会おう!」が挨拶だったし、突撃するときは、「天皇陛下万歳!」と叫んでいた。当時の日本は軍部の言いなりで、逆らえば憲兵にしょっ引かれるか、青年将校に暗殺される恐れがあった。それでも人々は愛国心を植え付けられ軍事教練を受けて天皇陛下の兵士となっていった。

 

教育の怖いところは、3か月もすると普通の市民が敵に憎しみを持つ兵士に変わること。人間らしい感情がなくなり、憎しみだけが強調され、敵が人でなく的になる。いたわりややさしさは兵士に不要で、血まみれの人を見ても何の感情もわかない兵士になる。敵兵を殺し、敵の平民を殺して生き残り、平民になると人としての感情を取り戻して悩む。

 

人間らしい感情を持てば、自分は何てことをしでかしたのだと思うようになり、殺した場面が何度も繰り返され、自責の念に押しつぶされていく。愛国心をもって戦場に行ったのに、そこで見たものは殺戮でしかなかった。ただ戦場で出会っただけの人を殺すことへの後悔は自分をも殺すことになる。

 

そんなことにはおかまいなく、戦場に行くことのない為政者は人民に愛国心を煽り、兵士となって戦場に行かせる。どんなに戦死者が出ようとも、その場にいないのでただの数字。どんどん兵士を投入して死者を膨らませても平気。ますます意気盛んに徴兵して戦場に市民を送るようになる。そのため、日本人は愛国心教育には慎重になる。

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