自由ということ
身分制度があるときは、大名に生まれれば将来は大名であり、武士に生まれれば将来は武士であり、生活は非常に安定していた。身分が高いほど、のんびりしていても未来はバラ色であった。反対に、身分が低い人ほどどんなに努力しても、才能があっても、その才能を発揮するような役職や身分につくことはできなかった。自由は身分が下の者ほど欲しいものであった。
明治維新(1868年)は、こうした身分制度をなくして、才能ある者は百姓・町民であっても、その才能を活かせる世の中を目指した改革でもあった。廃藩置県によって、大名とその家来はその身分を失くし、明日の生活にも事欠くことになったが、それまでの上から目線で物言う態度が嫌われて、身分が高い人ほど新しい世の中に順応できなかった。
文明開化となり、世の中は西欧列強に追いつけとばかりに学問に励んだ者や世の動きに敏感に反応した商売に励んだ者から出世していったが、世に不満を持ち愚痴や不平をこぼしていた、これまで身分の高い人たちは貧乏生活を余儀なくされた。自由には、本人の努力が欠かせなく、のんびりしていても出世できた時代は終わったことを認めたくなかった人々には辛い世の中となっていった。
それから150年程が経った現在の日本でも、職業の自由は守られているし、医師や弁護士など、より高度で高収入な職業に就きたければ、より学問に励まなければつけないのも変わりない。むしろ、今の世の中は明治維新の頃よりも、もっと高度で専門的な知識が求められている。職人の世界でも、技術の世界でも、最先端の知識と努力が求められている。