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天災は忘れたころにやってくる

2014-10-25 14.23.31

阪神淡路大震災から今年で20年、117日朝6時前、和歌山にいた僕のベッドはゆっくりと大きく揺れ動いていた。これまでとは全く違った揺れ方に飛び起きた。なかなか揺れは止まらず何か不安な気がした。テレビのニュースで、高速道路が横倒しになり、街の至る所で火災が発生していた。まるで、戦場のような光景に現実とはとても思えなかった。

 

僕は建築設計技師だったので震災に強いはずの高速道路や建物が倒壊していることに人知の及ばない災害の怖さを感じた。どんなに強度を増して設計しても、施工に欠陥があれば倒壊するし、鉄骨は零下になると、地震の時、せん断破壊を起こしてポキンと折れてしまう。復興計画は火災から街を守るため広い道路を作って防火帯を作ることが基本。

 

今から93年前の1923年(大正12年)91日、首都圏直下型の関東大震災が発生し、住宅の密集している東京の下町は火災により壊滅した。このとき、復興計画をまとめたのが後藤新平。彼には、台湾や大連での都市計画の実績もある。災害に弱い都市ではなく、未来のために防火のためにもなる幅員70m道路を作り、グリーンゾーンを作り非難地域となるようにした。

 

最初の計画に国家予算がつかずに没案となったとき、幅員は44mになっても、世界で初めて区画整理を行って、民衆がみずから無償で土地を提供するによる都市計画された都市を創りあげた。都市計画は、鉄道や道路網の整備、公共施設の整備を行う。基本は、100年後の国民の生命財産を守ること。

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