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苛めた方は忘れても、苛められた方は忘れられない

苛めはいつの時代でもあり、僕もひどい暴言で苦しめられたし、部下から無視されて彼らの横暴に苦しんだこともある。優しくしていれば、我慢さえしていれば、いつかは良くなると信じても、苛めている人はその手を緩めることがなかった。

 

苛めている人には、自分が苛めているという意識がない。指導だったりアドバイスだったり注意しただけだと言う。しかし、相手が苛めだと感じれば、それは苛めなのだという認識がない。だから苛めを続けてしまう。

 

そうした人から離れて時間が経っても、そのときの苦痛は忘れることがなく、記憶がよみがえるときがある。そのときは、怒りや悲しみに打ち震え、二度とあんな目に合いたくないと思い、憎しみや悲しみから解放されたいと願う。

 

いつまでも、こうした記憶は消えることがない。苛めた人はそうしたことをすっかり忘れて笑顔で挨拶しているので、こちらも笑顔で挨拶しているが、会いたくないのが本音である。そうした経験から自分は苛めをしないと決めている。

 

自分が良かれと思っても、相手が傷つけばそれは苛めだと認識すること。指導やしつけアドバイスなどと言っても、相手が納得して共感してくれず、苛められていると感じれば、それは間違いなく苛めなのです。

 

苛められ心が折れそうになっているときは、散歩やトレッキング、サーフィンなど、運動してクタクタに疲れるようにして心身のバランスをとるようにしている。心身ともに疲れ切って、俺はどうしてうまくいかないんだと作り笑顔でいれば、何とか乗り越えられる。

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