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獅子(しし)は我が子を千尋(せんじん)の谷に落とす

20代の頃、お金に困った僕は父親にお金を出してほしいと頼み込んだことがある。社会人となり結婚したが離婚し、妻の借財を丸抱えしたサラリーマンの僕には返済できない額だった。とりあえず父に出してもらい、少しずつ返済しようと思っていた。

 

父親は間髪入れずにお金は一切出さないと言い切り、返済できないなら腹を切ればいいと言って錆びついた古刀を出してきた。今後、返済を完了するまで実家の敷居をまたいではならないと言われて落胆するより怒りで身震いしながら家を出た。

 

銀行に行って事情を話して返済を待ってもらおうと思ったが、にべもなく断られた。しかたなく退職して、魚の行商を始めた。10年近くかかったが31歳で完済した。その10年は本当に辛く厳しかった。返済できず、高校の同級生が働く銀行の窓口で恥ずかしい思いもした。

 

厳しいながらも魚の行商から下着もいっしょに販売するようになり、魚をやめて洋服の行商になり大きくしていった。自分のお店も持つようになり、仕入れ先も大阪から神戸、京都、岐阜、東京と広がっていった。

 

服飾メーカーになり、東京などに卸販売できるまでになった。完済した時、実家にやっと報告に行った。母から、あの日の夜、父親が仏壇の前で泣いていた。今から家にあるお金を持って行ってやろうと思うと言った。

 

でも、母親はそれを断り、自分たちの息子はそんなことでは死にはしないと言い切ったそうだ。息子さんが魚の行商をしてお金に困っていると知り合いから言われた時も辛かったかが両親はジッとしていたそうだ。

 

そのとき、命がけの親の愛情を僕は感じた。僕の憎しみは深い感謝になり、生まれて初めて父に感謝の手紙を書いた。

 

 

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