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他人の不幸は蜜の味

 

他人の不幸を見て、自分がそうならなかったことで安堵する。あるいは、自分の生活では予想もつかない贅沢な生活をしている人に不幸が訪れると、それ見たことかとほくそ笑む。他人の不幸を見て内心嬉しくなるのは自然なことらしい。

 

お金持ちを見ると、自分もあのような贅沢な暮らしがしたいと思い努力する。努力のきっかけは嫉妬や羨ましいと思う気持ち。お金を手にしても、さらなるお金持ちに嫉妬して努力するのは自然なことらしい。

 

ただ、こうしたことは他人の不幸を見て、それを軽蔑することやホッとすることで成り立っていることもある。他人を不幸にして自分の幸せを築いていることもある。こうした行為はいつか自分に跳ね返ってくる。

 

他人をおとしめて自分の幸せを築いていると、自分の幸せは色あせたものになり、他人からは羨望よりも嫉妬の対象になる。他人からの信頼や尊敬をなくせば、自分の幸せが朽ち果てていくのは早くなる。

 

僕は、自分の周りの人をできる限り幸せにしたいと思うようにして行動している。我慢することもあるが、周りの人を不幸にして自分だけが幸せになるようなことはするまいと心に決めている。

 

その時は、自分だけが損をしていると思うこともあるが、長い目で見ると多くの方から感謝され、より多くの幸せをいただいている。結局、ある程度の自己犠牲を我慢して周りの人を幸せにした方が幸せを感じている。

 

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