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将来の事を何も考えない学生だった

 

和歌山県の片田舎で暮らしていると多くの大人は、農家や漁師、僕が小学校の頃は地元の銀行や役場で働く人がいても、大企業のサラリーマンは汽車で通勤できる限られた人でしかない。跡継ぎの農家や漁師の子供が多いので、友達と将来のことなど語ることがない。

 

ところが、都会では学生のご両親の多くはサラリーマンで通勤電車に揺られてOfficeに行き、毎日上司の叱咤激励にストレスを感じながら働いている。農家や漁師は、自然任せだし、上司がいないので𠮟咤激励されることがない。もちろん、敬語など使う機会がない。

 

そんな訳で、高校2年生までまったくと言っていいほど自分の将来の事を考えない、遊びとバイトに明け暮れた毎日だった。今にして思えば、都会の子供たちが進学塾で必死になって受験勉強して、有名大学に進学していたとはつゆ知らずの日々だった。

 

ご両親がサラリーマンのお子様は、両親からエリートコースを叩き込まれてきたと思う。サラリーマンになっても、出世街道まっしぐらで進むようにアドバイスされていただろう。都会の子供は幼い頃から競争意識があったが田舎育ちにはまったくない。

 

昭和の頃、大企業と田舎の中小零細企業では雇用面で大きな差があったが、そんなことを教えてくれる親や先生はいない。おそらく今でも、子供たちに君の将来が金銭的に恵まれた仕事に就いていたいなら、今からAIやデジタルスキルを身につけなさいと言ってくれる大人はいない。

 

学校の受験勉強が社会ではほとんど役に立たず、社会で役に立つ実学は受験勉強にはまったく役立たずだと知っていたら、学歴などを自慢できる時代は終わったとアドバイスするだろう。AIの時代は、AIを駆使したサービスを開発した人が高収入を得る時代に入っている。

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