怒り始めると止まらない人いますよ
怒りを爆発させて、同じことを何度も何度も繰り返し、相手を追い詰めて弁解しようのない状態に追い込んで、相手が自己否定に陥り自分はダメな奴だと思い込み、死にたいと思わせるようになっても怒りを納められない人がいる。こうした人は、こうした行いを何度でもやってしまう。
自分はいつも正しいのに、正しいことを言っているのに相手はふさぎ込んで泣くばかり、あるいは避けるようになる。そこまで追い込んでいるのは自分だと気が付かないので、相手をどんどん責める。相手が反省できない原因は何かを考えない。
その原因がわかれば、対処のしようもあり怒りも収まるのに、自分の言ったことができない、忘れていたと言われるなどの理由で相手を追求する。企業経営者でも儲からない理由を自分以外に求めてしまって部下を執拗に責め立てる。責められた部下は心を病んで辞めていく。
会社の業績を上げようと思えば、社員のヤル気を100%発揮できる環境を提供することが大切で、そのことに関心を向けなければならない。そのことを忘れて怒鳴ってしまう。部下のあら捜しをして責めるため業績の逆回転が始まってしまう。感情を抑制できない人は周りの人をダメにしていく。
こうした人は周りの人から嫌われるので、余計に感情的になっていく。どうして避けているのか?どうして口を利かないのか?どうしてこちらの目を見ようとしないのか?すべては自分を避ける行為。優位に立っている時代はそう長くは続かない。いつかは、そのしっぺ返しがあるものだ。
年老いていくにしたがって疎外感がつのり孤独になっていく。誰からも相手にされない、期待されない。財産はなくしてしまい、家族も離れてしまう。いっしょに仕事をした仲間も言葉すらかけてこない。自分の人生はいったい何だったのだろうと思いながら、たった一人暮らしの中で死んでいく。
こうした人生を改めるには、多くの人の為に動き、助け、奉仕すること。与えることで、いつかは与えられる立場になっていく。慈悲という種をまき、時間をかけて実っていく。感謝されるようになり、人々の笑顔を自分が創っていることに感動し、生きていることに感謝するようになる。


