愛する人がいなくなれば
愛する人がいなくなれば、生きている張り合いがなくなり、何もする気が起こらなくなり死を待つだけの放心状態になる。どうして自分だけが生きているのだろう?どうしてもっと親切にしなかったのだろう?どうしてもっと親身になれなかったのだろう?そうした後悔の念が沸き起こり、自殺すらしかねないようになる。
思い出ばかりがよみがえり、ここでいっしょに食事をしたな、ここいっしょに旅行したな、二人で話し合って買った品だ…たくさんの思い出がよみがえり、愛する人の言葉が思い出される。最初は泣き崩れていたのに、そのうち涙も枯れて食事すらとる気になれなくなる。いっそ死んで愛する人に会いに行こうと…。
そんなときに、愛する人の言葉を思い出す。「あなたは幸せに生きて」その言葉はとても重たく、生きることさえ苦しいのに、どうして幸せに思えるのかと…。愛する人の思い出の中で生きているときは気が付かなかったが、他人のために何かしてあげることで感謝され、少し嬉しさを感じるようになる。
誰かのためにホンのチョッとした奉仕に「ありがとう」と笑顔で感謝され、愛する人も笑顔をしていたことを思い出し、そのときは私も笑顔だった。愛する人が「幸せに生きて」ということは、誰かのためになることをすることかもしれないと思えるようになる。残された人生をそうして過ごし、愛する人に笑顔で話せるようになろう。
あなたが死んでから、私はあれから幸せに暮らしましたよと言えるように努力することが、愛する人への愛情だと気が付くまで時間がかかる。例え、他の人を愛するようになったとしても、それが過去に愛した人への愛情の証だと思えるようになる。おとなの愛情は、チョッと複雑なのだ。