軍事教練を受けた戦争の子供達
僕の父親は戦争中、中学生だったので軍事教練を受けていたが徴兵されていないので戦地に行っていない。大日本帝国は鬼畜米英に負けるはずがないと思って育っているし、自分も戦地に行って一旗揚げたいと思っている子供だった。
敗戦となっても、こうした子供たちは学校で暗記している「戦陣訓」を価値観に生きて大人になっていく。厳格で命令口調、絶対服従を子供である僕にも強制するようになる。僕は、そうした態度の父親が嫌いで反抗的になる。
「一(ひとつ)、軍人は忠節を尽(つく)すを本分とすへし」などと、声を張り上げて言うものだから、僕は益々反抗的になる。父親は、そんな僕を仮想敵国だと思うようになり、益々気合を入れて怒鳴るようになる。父親との関係は悪化するばかりだった。
大学生になると、歴史を知り、父親が育った時代を知るようになり、父親も戦争の被害者なのだと思うようになってから、反抗的な態度は自然となくなり、父親の良い面を見るようになった。父親をひとりの人間として見るようになる。
自分が丸くなったら父親も丸くなり、お互いに歩み寄るようになる。父親に対する見方を変えれば、父親も僕の見方を変えてくる。74歳で亡くなったが、最後は僕を尊敬し、いろいろ面倒をみていたので感謝していた。
僕も70歳になり、父親もひとりの人間として夢や希望を持って生きていたんだなと思うようになる。げんこつで頭を叩かれたことも今では笑みを浮かべる思い出になった。何しろ、父だけが悪いのではなく、そうした原因を作ったのは僕自身だから。