死すべきときに腹を切り、生くべきときに歯を食いしばる
太平洋戦争で日本人の多くは、日本の勝利を信じて命をかけて戦っていた。戦死するのは軍人の誉れとされ、お国のために命を捧げることが美徳とされた。戦争では勝利ばかりではなく敗戦もあるが、敗戦は伏せられていた。そのため、威勢の良い掛け声ばかりになり、勇猛果敢さは勢いを増すばかりになる。
日本中の都市に空襲が始まって、敗戦が濃厚になっても、トップは威勢の良い掛け声ばかりのために敗戦と言えずに、原爆の投下やソ連の宣戦布告を許す事態となっていく。軍令部が正確な情報開示を行ってさえいれば、この辺が敗北を認める時期だと誰もが悟ることができたかもしれない。
戦況の正確な情報が開示されないので、「俺たちは必死に戦っている!」という現場の声が優先され、そのため、勝利するまで戦い抜こうという決意こそが優先される。戦友が死んだこの戦地を自分が守るのは当たり前だという論調が新聞紙上でも賑わうようになり、敗戦を模索する人は売国奴だと罵られる。
企業経営者が、自社の決算書を開示せず、従業員に「働けば役員にしてやろう」と言えば、従業員は必死になって働き、例え、赤字の会社であっても素晴らしい社長さんだと尊敬するだろう。給与も出せないほど資金が底をついても、「為せば成る」と言い続けているのはかっこよく映る。
それを見ている友達は、気力を失い、体力を失くしていく企業経営者に、いい加減に現実を観ろと叱る。君はすでに経営者ではなく、敗北者になっていることを認めるべきだと言う。しかし、そう忠告する友は、卑劣な弱腰で、気力を失い、体力を削がれたのは君のせいだと責められる。
世の中には、決算書を開示しない社長がたくさんいる。その企業で働く従業員は、自社が倒産するなどとは思っていない。威勢の良い掛け声ばかりを信じて疑わない。俺たち、頑張って働いているのだから、会社は何とかなると思っている。現実の数字は伏せられたままで知ろうともしない。