1995年1月17日、5000人以上の方が亡くなった
早朝6時前、和歌山県に住んでいる僕はいつもと違う長い周期の大きな揺れに驚いて飛び起きた。阪神淡路大震災で、多くの教え子も神戸で暮らしていた。災害時には、緊急車両を通し救援活動を最優先で行えるように、安否確認や帰宅などで人々が行動して渋滞を引き起こさないことが大切。僕は、テレビを観て情報を収集し3日間ジッとしてから動きだした。
地震発生時、街中が一斉に停電になる。電力会社が復旧に努めて電気を送るようになると、倒壊している建物内の家電など、電気が通ることでショートしたり火災源となり火事となっていった。家事となり倒壊した建物から救助できない状態にしたのは、安否確認のために車を運転していた人々が引き起こした大渋滞だった。現場到着が遅れた救急隊員は人殺しと怒鳴られ罵倒された。
それから16年後、2011年東日本大震災でも同じような光景を観た。首都圏では、大渋滞が発生し、人々が安否確認や帰宅困難者となって街に溢れていた。もしも、首都圏直下型の震災なら、阪神淡路大震災のように緊急車両が現場に行けず、倒壊している建物内で救助を求めている人を救うことができなかっただろう。住民が最初にすべきは火の元を切って動かないことだが教訓は生きていなかった。
災害時、人は家族を案じ自宅に帰ろうとする。一人住まいであっても自宅に帰りたいと歩き出す。ひとりひとりの行動が大渋滞を引き起こし、緊急車両や救急車の到着が遅れ、救急隊員による人命救助を遅らせる。災害時のマニュアルにジッとしていてくださいとは書いていないが、助かる命を救うのは慌てて動くのではなく、ジッとしているひとりひとりの意識。