量より質の経営
一代で日本一の起業家になり、一代でその会社を潰したビジネスマンといえば、僕の生まれ故郷出身の紀伊国屋文左衛門と大阪生まれのダイエーの創業者 中内功。僕が大学生の頃、自炊をしていたので食材を買っていた大阪旭区の千林商店街で中内功は、数坪の主婦の店ダイエーを開く。
それから、わずか10年ほどで三越百貨店の売り上げを抜いて日本一の売り上げを達成している。彼が目指したものは、よい品をどんどん安く消費者に提供する総合スーパー(GMS)で物が不足していた頃の戦後の昭和期に絶頂を迎える。メーカー品の定価販売を否定してより安く販売し庶民の支持を得た。
会社が大きくなり幹部社員に任せるようになると、彼らの態度は横柄になり業者に対しても威圧的だった。パートさんなど従業員を大切にしない態度が目立つようになると、従業員のヤル気を削いでしまい、バックヤードも汚くなり売り上げも落ちていった。メーカー離れが目立つようになる。
土地バブルが崩壊したからだとよく云われているが、業者から観れば付き合い辛い相手で、「商品を置きたいなら~しろ!」といった態度に憤慨していた方も多い。中内社長の前では平身低頭にしている幹部社員の態度が一変していることを中内さんは知らなかったのだろう。
末端社員の情報が入手できなくなり、幹部社員からの情報だけで会社を経営するようになると赤字になる。どんなに大きな会社であろうと、末端社員からの生の情報がダイレクトに伝わるようにしなければより良い経営はできない。ちょうど、江戸時代のお庭番のような存在が必要。