共産主義の理想と現実
僕が中学・高校の頃、若者や知識人と云われる人々に共産主義思想が流行っていた。財産の一部または全部を共同所有することで誰に対しても平等な社会をつくるという考えは、とても魅力的だが現実には不可能だろうと、子供の頃から働いてきた僕には思えた。共産主義革命を叫ぶ若者は、自分たちが民衆を導くエリートだと感じていることに違和感を覚えたからだ。
自分たちの考えに賛同できない人を批判し、自己反省を促すやり方が尋常ではなかった。反革命的だと罵声が飛び、暴力さえも厭わないやり方に恐怖さえ感じた。自分たちの考えはすべて正しく、自分たちの考えを民衆は黙って受け入れれば幸せになれると言わんばかりの態度。実際、共産主義国家ではたった一人の人物にすべての権力が集まっていた。
革命を起こした人々は、自分たちはエリート集団で民衆を助けたのだから、自分だけでなく家族や親せき、子孫に至るまでより裕福な生活をして当然だと思うようになる。また、革命に反対していた人々は反革命分子として強制収容所に送り、閉じ込めておく必要があるし、権力闘争の末に成り上がったひとりの権力者は自分の権力を守るために、ライバルを排除する必要がある。
新たな階級が生まれて、その階級でなければ裕福な暮らしができない。自由な発言は許されず、思想はひとつに統一される。国家のリーダーは神にも等しい人物で、誰も逆らうことは許されない。誰もが平等で貧富の差がない社会という思想であるがゆえに、僕よりも少し年上の若者や知識人が信じたくなるのだろうが、そう甘くはないと高校生の僕は思った。