素晴らしい言葉より大切なやさしさ
学生運動が盛んだった1960年代後半から1970年前後、僕の周りの人もこうした学生運動に参加していた。多くの人は、思想に傾倒して参加したのではなく、友達に誘われて行ってみると熱気溢れる若者に感動して、自分も仲間になってみたいと思ったからだ。
マルクスが好きでもなく読んでもいない。毛沢東が誰かも知らないし小紅書(しょうこうしょ)も読んだこともない。ただ、それらをお題目のように叫んでいれば、誰もが呼応していっしょに叫んでくれた時代。そうした友の連携が学生運動を盛んにしていった。
大人になって思想に傾倒したり宗教に傾倒したりする人は、誘ってくださる人が魅力的だからという動機がほとんど。その人の人柄、つまり自分に対するやさしさに包まれて傾倒するようになる。どんな素晴らしい思想や教えでも、勧めてくださる人柄が悪ければ傾倒しない。
仕事もいっしょで上司にやさしさという魅力がなければ部下は就いてこない。家族も一緒で親にやさしさという魅力がなければ子供は就いてこない。学校でもいっしょで先生にやさしさという魅力がなければ学生は就いてこない。知識やスキルや経験に就いていくのではない。
そして、他人にたいするやさしさは今からすぐに始められるとっても簡単なこと。ただ、簡単なだけに疎かにしてやさしさを失くし、相手に失望を与えてしまう。一度失望した相手から再び信頼を取り戻すのは並大抵のことではできない。だからこそ、普段から他人へのやさしさは失くさないようにしたい。


