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吉村さんへ

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2016年6月は、元社員で「わかるとできる」加盟校の社長でもあった女性の1周忌。もっとも信頼し、たくさんの思い出ある社員だっただけに若くして病死したことは残念でならない。彼女と初めて出会ったのは、直営教室が赤字で苦しんでいるときだった。当時の直営担当の幹部社員が頑強に反対する中で解雇されるのを覚悟で僕に会いに来た。

 

彼女は、仕事や幹部社員への愚痴や不満ではなく現状の直営教室の赤字の原因と対策方法を考えて提案してきた。その策は、的を射ており納得するものばかりだった。僕は彼女に100の方策を与えて、直営事業部の再生を一緒に行った。全国の直営教室を初めて巡回し、社長である僕は多くの厳しいご指摘を受けたが、彼女はしっかり研修してくれた。

 

何としても黒字化を推進するために、これまでにない厳しい指導に教室スタッフが全員教室に来ないというボイコットまであり、深夜、仕事が終わってから車を走らせ僕はその教室に行った。早朝やってきた彼女と一緒に教室を開けて運営したこともある。40あった直営教室の半分を閉校しなければならなかったが見事に憎まれ役を引き受けてくれた。

 

最後の閉校教室のとき、その教室を買い取って独立したいと言ってきた。僕は近くにある業績の良い教室もいっしょに買い取れば運営しやすいからと提案した。彼女が採用して指導し薫陶を受けたスタッフたちなので、いっしょにいれば大いに助かるだろうと思った。直営教室長のときは3つの教室で日本一の業績を出し、加盟校になってからも日本一の業績を出している。

 

教室運営に関しては天才ともいえる才能を発揮している。勉強熱心で情熱家の彼女が、能力開発セミナーで知り合った男性を紹介してくれた。仕事で忙しい二人は結婚したがうまくいかなくて離婚することになる。社員のことを誰よりも大切にし、皆が幸せになれるように努力していたが誤解されることも多かった。うまくいかないときはそうとう落ち込むこともあり、そんなストレスから病気になった。

 

まっすぐに生き、真正面から何事もとらえていた。曲がったことが大嫌いで、正直が取柄だった。笑顔が素敵で寂しがりだった。負けん気が強くても僕の前では泣き虫だった。家族思いだったが、それ以上に社員のことを気づかっていた。独立したが直営のことをいつも心配していた。どんなに感謝してもしきれない生涯忘れることのない女性となった。彼女は死して伝説となった。

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