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レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展

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京都で、レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展が開催されていたので行ってきました。メディチ家が支配するフィレンツェ共和国のトスカーナのヴィンチ村で、1452年4月15日レオナルドは生まれました。裕福なお父さんは数度結婚をしており、レオナルドは、高度な教育を受けることができた。14歳で、フィレンツェで芸術家ヴェロッキオの工房に弟子入りしている。   その後、独立し、1508年10月18日にフィレンツェの芸術家ギルド(組合)に再加入し、フィレンツェ政庁舎(ヴェッキオ宮殿)大会議室の壁画「アンギアーリの戦い」のデザインと制作に取り掛かっている。このとき大会議室の反対側の壁では、ミケランジェロが「カッシーナの戦い」の制作に取り掛かっていたが、ふたりともに未完で終わっている。   レオナルドはこの壁画を完成させることができませんでしたが、部分的に描かれた壁画はその後、半世紀以上のあいだ人々の見るところとなり、多くの芸術家に影響を与え模写も多く残っています。戦闘のリアルさを表現しようとしたその壁画は、最終的に1560年代にジョルジョ・ヴァザーリの新たな壁画装飾によって覆われてしまいました。   人間の筋肉の動きを正確に知るために人体解剖を試み、人馬の動きを正確に表現しようと何度も下絵を描いています。それまでの平面的で先頭の荒々しさや表情の険しさなどがない絵画ではなく、そこで死に物狂いで戦っている人馬の表情を正確に表現しようとしています。しかも、敵の大将を正面に配置して主人公であるかのように描いているところに驚きます。   レオナルドが天才と云われる所以は、彼のあくなき探求心と、命あるモノに対する畏敬の念を忘れない態度にあると思いました。

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